考察その19 - 性別について その1 - [考察]
(2010年11月20日のmixi日記 より)
【性別について その1】
「よく性別を聞かれます。だから悔しくて、こう言い返してます。……どっちに見えますか?って。」
「………第5のゲームでは、お前は男ということになっている。しかし数多のゲームでは、女だと考えられてる。……右代宮戦人がゲームマスターを務めた第6のゲームでは、性別を違えつつも確定しない二人組の悪魔が登場し、それを暗示した。……いや、厳密には、一番最初のゲームからだな。………お前の性別は、ゲームの外側の、隠れた謎の一つだ。」
(EP7理御とウィルの会話より)
男なのか?女なのか?
私が読んだ印象では、親族の前にいる時の理御は男性らしく見えました。
特に下のような朱志香に対しての言葉遣いは男性の話し方だなぁと。
「朱志香。もう少し妹らしい言葉遣いは出来ないのかい? ついでに言うと、もう少し年頃の女性らしい言葉遣いにも気を付けてみるべきだね。あと、次期当主サマなんて呼び方は嫌いだって、いつも言ってるよ。」
「朱志香ッ! お客様もいらしてるというのに、どうして君はそういう言葉遣いなんだ…! また、母さんに言いつけられたいかな?!」
しかし、ウィルと二人きりでいる時の理御は女性らしく見えます。
後半になるにつれ余計にそう思いました。
さて、ウィルの発言でもあるように、
理御は別の世界でのベアトリーチェでありながら、
EP5では男性として登場しています。
私は今までの考察で、
「ベアトリーチェ=紗音」としてきました。
ベアトリーチェも紗音も女性であるはずです。
しかし、おそらく
「ベアトリーチェ=紗音=嘉音」であるだろうとも思っています。(ゲーム盤の上では)
嘉音は男性であるはずです。
これは、一つの存在の中に男性と女性があるということです。
そして、理御は非常に中性的な存在です。
それが指し示すことは一体何でしょうか?
紗音と嘉音は自分のことを家具だと言っています。
家具は恋なんてできないと言っています。
そのフレーズを思い出させるのが次の場面です。
「どうして…!! どうしてあなたたちは私を助けたんですか?! どうして死なせてくれなかったんですか?! 私はあの時の大怪我で、……こんな体で生きさせられている!! こんな体で、生きていたくなんかなかった!! こんな、恋をすることも出来ない体で……!! そんなの、そんなの、生きる価値がないんじゃないですか?! そんなのニンゲンじゃない……!! 家具じゃないですか!!」
「そう、私は、家具……!! 家具なんだ…!! どうして、………私をあの時に死なせてくれなかったんですかッ!! ぅわぁああああぁあああああぁああぁああ……!!!」
これを、六軒島で怪我を負ったビーチェの事だと考えている方も多いかと思います。
しかし、私はこれは19年前に崖から落ちて怪我を負ったヤスのハラワタなのだと考えました。
「家具」という言葉を何度も口にする紗音と嘉音の元であろうヤス、つまりベアトリーチェの回想なのだと。
上記場面で、「家具」の次に気になるキーワードは「体」です。
「こんな体で生きていたくなんかなかった」
「こんな恋をすることも出来ない体で」
恋をすることも出来ない体…
そんな体あるのでしょうか?
ヤスには怒られてしまうかもしれませんが、私はそんな体はないと信じています。
家具なんて言うのは間違っていると思います。
だからきっと、「恋が出来ない」のではなくて「恋が出来ないと思っている」のだと思ったのです。
ならば、なぜ恋が出来ない体だと思っているのでしょうか。。
EP6でほとんどの方が辿り着いた「紗音嘉音同一説」を参考に考えると、
・ヤスの中に女性の紗音と男性の嘉音という人格がある
・紗音の人格は戦人もしくは譲治が好き。嘉音の人格は朱志香が好き。
・元の人間は一人なので、どちらかの恋を叶えるならば、どちらかの恋を諦めなければならない。
複数の人格を持っているがために、誰か一人だけに恋することができないと思っているということでしょうか?
それとも、同性に恋することはできないと思っているということでしょうか?
確かに、自分もその立場に立たされたら「恋なんか出来ない体」と思うかもしれません。
でも、、
やっぱり自分がその立場に立ったとしても「恋が出来ない体」だとは思いません。
世間一般で思われているような「普通」の恋愛はできないかもしれない。
想いは成就しずらいかもしれない。
でも、
もしかしたら、その中の誰かと結ばれるかもしれない。
それは叶わなくても、また他の誰かと出会って、恋に落ち、結ばれるかもしれない。
生きてさえいればまだまだ可能性はあるのです。
島さえ出てしまえば、もっと広い世界があるのです。
時代背景が違うので周囲にはなかなか理解してもらえないかもしれませんが、
熊沢や源次や南條ならば、きっと力になってくれるはずです。
それなのに、
ヤスは「生きる価値がない」と言います。
まるでそれは、
その中の誰とも結ばれないし、他の誰とも結ばれない。
そして、どんな恋をしたって叶わないと信じこんでいるようにも見えます。
未来を見ることができないのです。
それが「恋をすることの出来ない体」の苦しみなのだろうと私は思いました。
では、次の考察に続きます。
【性別について その1】
「よく性別を聞かれます。だから悔しくて、こう言い返してます。……どっちに見えますか?って。」
「………第5のゲームでは、お前は男ということになっている。しかし数多のゲームでは、女だと考えられてる。……右代宮戦人がゲームマスターを務めた第6のゲームでは、性別を違えつつも確定しない二人組の悪魔が登場し、それを暗示した。……いや、厳密には、一番最初のゲームからだな。………お前の性別は、ゲームの外側の、隠れた謎の一つだ。」
(EP7理御とウィルの会話より)
男なのか?女なのか?
私が読んだ印象では、親族の前にいる時の理御は男性らしく見えました。
特に下のような朱志香に対しての言葉遣いは男性の話し方だなぁと。
「朱志香。もう少し妹らしい言葉遣いは出来ないのかい? ついでに言うと、もう少し年頃の女性らしい言葉遣いにも気を付けてみるべきだね。あと、次期当主サマなんて呼び方は嫌いだって、いつも言ってるよ。」
「朱志香ッ! お客様もいらしてるというのに、どうして君はそういう言葉遣いなんだ…! また、母さんに言いつけられたいかな?!」
しかし、ウィルと二人きりでいる時の理御は女性らしく見えます。
後半になるにつれ余計にそう思いました。
さて、ウィルの発言でもあるように、
理御は別の世界でのベアトリーチェでありながら、
EP5では男性として登場しています。
私は今までの考察で、
「ベアトリーチェ=紗音」としてきました。
ベアトリーチェも紗音も女性であるはずです。
しかし、おそらく
「ベアトリーチェ=紗音=嘉音」であるだろうとも思っています。(ゲーム盤の上では)
嘉音は男性であるはずです。
これは、一つの存在の中に男性と女性があるということです。
そして、理御は非常に中性的な存在です。
それが指し示すことは一体何でしょうか?
紗音と嘉音は自分のことを家具だと言っています。
家具は恋なんてできないと言っています。
そのフレーズを思い出させるのが次の場面です。
「どうして…!! どうしてあなたたちは私を助けたんですか?! どうして死なせてくれなかったんですか?! 私はあの時の大怪我で、……こんな体で生きさせられている!! こんな体で、生きていたくなんかなかった!! こんな、恋をすることも出来ない体で……!! そんなの、そんなの、生きる価値がないんじゃないですか?! そんなのニンゲンじゃない……!! 家具じゃないですか!!」
「そう、私は、家具……!! 家具なんだ…!! どうして、………私をあの時に死なせてくれなかったんですかッ!! ぅわぁああああぁあああああぁああぁああ……!!!」
これを、六軒島で怪我を負ったビーチェの事だと考えている方も多いかと思います。
しかし、私はこれは19年前に崖から落ちて怪我を負ったヤスのハラワタなのだと考えました。
「家具」という言葉を何度も口にする紗音と嘉音の元であろうヤス、つまりベアトリーチェの回想なのだと。
上記場面で、「家具」の次に気になるキーワードは「体」です。
「こんな体で生きていたくなんかなかった」
「こんな恋をすることも出来ない体で」
恋をすることも出来ない体…
そんな体あるのでしょうか?
ヤスには怒られてしまうかもしれませんが、私はそんな体はないと信じています。
家具なんて言うのは間違っていると思います。
だからきっと、「恋が出来ない」のではなくて「恋が出来ないと思っている」のだと思ったのです。
ならば、なぜ恋が出来ない体だと思っているのでしょうか。。
EP6でほとんどの方が辿り着いた「紗音嘉音同一説」を参考に考えると、
・ヤスの中に女性の紗音と男性の嘉音という人格がある
・紗音の人格は戦人もしくは譲治が好き。嘉音の人格は朱志香が好き。
・元の人間は一人なので、どちらかの恋を叶えるならば、どちらかの恋を諦めなければならない。
複数の人格を持っているがために、誰か一人だけに恋することができないと思っているということでしょうか?
それとも、同性に恋することはできないと思っているということでしょうか?
確かに、自分もその立場に立たされたら「恋なんか出来ない体」と思うかもしれません。
でも、、
やっぱり自分がその立場に立ったとしても「恋が出来ない体」だとは思いません。
世間一般で思われているような「普通」の恋愛はできないかもしれない。
想いは成就しずらいかもしれない。
でも、
もしかしたら、その中の誰かと結ばれるかもしれない。
それは叶わなくても、また他の誰かと出会って、恋に落ち、結ばれるかもしれない。
生きてさえいればまだまだ可能性はあるのです。
島さえ出てしまえば、もっと広い世界があるのです。
時代背景が違うので周囲にはなかなか理解してもらえないかもしれませんが、
熊沢や源次や南條ならば、きっと力になってくれるはずです。
それなのに、
ヤスは「生きる価値がない」と言います。
まるでそれは、
その中の誰とも結ばれないし、他の誰とも結ばれない。
そして、どんな恋をしたって叶わないと信じこんでいるようにも見えます。
未来を見ることができないのです。
それが「恋をすることの出来ない体」の苦しみなのだろうと私は思いました。
では、次の考察に続きます。
2010-12-21 13:35
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