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考察その20.5 - 私が読みといたもの - [考察]

これは、EP8発売前の2010/12/29に書いていた日記です。


当時は、
あまりに感情を吐露しすぎてしまったことが恥ずかしくて公開できませんでした。。




ですが、久しぶりに読んでみた今。


この日記に書いたことが、
私がうみねこから得た最大の宝物だと自負するにいたりましたので
公開させていただこうと思います。



(やっぱり、ちょっと恥ずかしいですけどね。。)








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考察でもないですし、今更主張することでもないですし、
特に文章にして公開する必要はないのかなぁと思ったのですが、
自分なりに整理をつけるためにこの日記を書いています。

ですから、これから書くことは
「お前の事なんか興味ねぇよ」という方はスルーしていただいてOKです。











さて、おっかなびっくり告白しますが…


私はEP7以降、「うみねこのなく頃に」を偏った視点でしか読むことができなくなりました。
半陰陽の生がこの物語の根底のテーマであるという考えが
自分の中では「正解」になってしまったのです。
あまり考察を書いている立場の人間が言うべきことではないんですけどね。



まぁ、それが本当に正解かどうかはわかりませんし、
なんとなくEP8でもそのへんは曖昧にされるんじゃないのかなぁと思いますが、
自分なりにその考えをまとめて文章にするにしては
私は今まであまりに無知で自分勝手がすぎました。





「家具だ」

なんて言っちゃいけない。言わせてはいけない。

それは、多くの人が持つ感情なのではないかと思います。

でも、私は今まで間違いなく言わせる側の人間だったのです。







半陰陽の方がいらっしゃるという事実は知っていても
半陰陽そのものについての知識、
そして、半陰陽の方達の生活について真剣に考えたことがなかったのです。

自分や自分の周りの世界とはまるで関係ない事で
積極的に知る必要がないことのように思っていました。
本当に恥ずかしいことですが。





ふたなりとしてマンガのキャラクターとして描かれたり、
アンドロギュヌスとして神聖な存在として考えられたりしていることは知っている。

でも、正直、私にはその感覚があまりしっくりきません。

なんというか、リアリティが、ない。




かと言って、自分であれこれ慮って「辛いだろうな苦しいだろうな」といった
上から目線ともとれる感情を持つことも正しくないような気がしました。










考察を書く以上は、
ただ推理の一端として「半陰陽」という単語を用いるのではなく、
それについて自分なりの意見を持ちたい。

そうでなければ、発言に重みもなくなるし、読んでもらう方に納得してもらうこともできない。



でも、なかなか自信をもって言えるような考えに至れない。



私が何かを書くことで、もしかしたら誰かを傷つけてしまうかもしれない。



そもそも、半陰陽を特別視して見てしまうこと自体が許されざる差別で
知ろうとしている気持ちも汚い好奇心なのかもしれない。









考えれば考えるほど
自分の浅はかさがどんどん明らかになっていくような気がしました。








そんな中、
半陰陽の方の作品や手記を読み少しずつわかってきたのは、
そもそも考えた先に答えなど用意されていないし、
人によって捉え方も当然変わってくるのだということ。


そして、だからこそ、
自分の頭で考え続けていくことが大事なんだな、ということでした。


なんか、ものすごく当たり前のことを言っているような気がしますが。









半年考え続けた今でも何かを口にすることは怖いです。









誰もが無意識のうちに誰かを傷つけているのかもしれない。
誰かが無意識のうちに自分を傷つけてくるかもしれない。


それはあまりに残酷な罪です。
無意識であるが故に反省も贖罪もありません。




でも、
それは許されざる罪なのでしょうか。
人間ならば誰もが背負っている罪なのではないでしょうか。





 
だから、
もし幸運にも無意識が意識できるようになる機会を得たのならば、
それに無関心でい続けたり背中をむけたりしてはいけないのだと思います。






戦人が約束を忘れていたことも
幼い縁寿が真里亞の魔法の世界を否定したことも
無意識の罪でした。


しかし、戦人も縁寿も自分の罪に気付き、
それぞれ贖罪の気持ちを持って行動していきました。
罪を償うべき相手がもう存在しなくても。


贖罪は謝罪という直接的行為のみで済まされるものではありません。
自分の罪がどんな傷を生んだのか理解し、
自分で過去の自分を許し、
新しい自分の生き方を示せるようになることも贖罪の道なのです。










叶うならば、
私は誰かに無意識のうちに傷つけられても許せる人間でありたいです。

そのために、
強さや優しさを自分のものとし、
世の中の条理と不条理を共に受け止められる生き方をしたいと思いました。




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何というか、、本当に愚かな文章です。

それでも、私は自分が愚かだと知れて本当によかったと、今でも思っています。









届くかどうかはわかりませんが、
この日記を竜騎士07先生に送りたいと思います。




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