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考察その20.5 - 私が読みといたもの - [考察]

これは、EP8発売前の2010/12/29に書いていた日記です。


当時は、
あまりに感情を吐露しすぎてしまったことが恥ずかしくて公開できませんでした。。




ですが、久しぶりに読んでみた今。


この日記に書いたことが、
私がうみねこから得た最大の宝物だと自負するにいたりましたので
公開させていただこうと思います。



(やっぱり、ちょっと恥ずかしいですけどね。。)








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考察でもないですし、今更主張することでもないですし、
特に文章にして公開する必要はないのかなぁと思ったのですが、
自分なりに整理をつけるためにこの日記を書いています。

ですから、これから書くことは
「お前の事なんか興味ねぇよ」という方はスルーしていただいてOKです。











さて、おっかなびっくり告白しますが…


私はEP7以降、「うみねこのなく頃に」を偏った視点でしか読むことができなくなりました。
半陰陽の生がこの物語の根底のテーマであるという考えが
自分の中では「正解」になってしまったのです。
あまり考察を書いている立場の人間が言うべきことではないんですけどね。



まぁ、それが本当に正解かどうかはわかりませんし、
なんとなくEP8でもそのへんは曖昧にされるんじゃないのかなぁと思いますが、
自分なりにその考えをまとめて文章にするにしては
私は今まであまりに無知で自分勝手がすぎました。





「家具だ」

なんて言っちゃいけない。言わせてはいけない。

それは、多くの人が持つ感情なのではないかと思います。

でも、私は今まで間違いなく言わせる側の人間だったのです。







半陰陽の方がいらっしゃるという事実は知っていても
半陰陽そのものについての知識、
そして、半陰陽の方達の生活について真剣に考えたことがなかったのです。

自分や自分の周りの世界とはまるで関係ない事で
積極的に知る必要がないことのように思っていました。
本当に恥ずかしいことですが。





ふたなりとしてマンガのキャラクターとして描かれたり、
アンドロギュヌスとして神聖な存在として考えられたりしていることは知っている。

でも、正直、私にはその感覚があまりしっくりきません。

なんというか、リアリティが、ない。




かと言って、自分であれこれ慮って「辛いだろうな苦しいだろうな」といった
上から目線ともとれる感情を持つことも正しくないような気がしました。










考察を書く以上は、
ただ推理の一端として「半陰陽」という単語を用いるのではなく、
それについて自分なりの意見を持ちたい。

そうでなければ、発言に重みもなくなるし、読んでもらう方に納得してもらうこともできない。



でも、なかなか自信をもって言えるような考えに至れない。



私が何かを書くことで、もしかしたら誰かを傷つけてしまうかもしれない。



そもそも、半陰陽を特別視して見てしまうこと自体が許されざる差別で
知ろうとしている気持ちも汚い好奇心なのかもしれない。









考えれば考えるほど
自分の浅はかさがどんどん明らかになっていくような気がしました。








そんな中、
半陰陽の方の作品や手記を読み少しずつわかってきたのは、
そもそも考えた先に答えなど用意されていないし、
人によって捉え方も当然変わってくるのだということ。


そして、だからこそ、
自分の頭で考え続けていくことが大事なんだな、ということでした。


なんか、ものすごく当たり前のことを言っているような気がしますが。









半年考え続けた今でも何かを口にすることは怖いです。









誰もが無意識のうちに誰かを傷つけているのかもしれない。
誰かが無意識のうちに自分を傷つけてくるかもしれない。


それはあまりに残酷な罪です。
無意識であるが故に反省も贖罪もありません。




でも、
それは許されざる罪なのでしょうか。
人間ならば誰もが背負っている罪なのではないでしょうか。





 
だから、
もし幸運にも無意識が意識できるようになる機会を得たのならば、
それに無関心でい続けたり背中をむけたりしてはいけないのだと思います。






戦人が約束を忘れていたことも
幼い縁寿が真里亞の魔法の世界を否定したことも
無意識の罪でした。


しかし、戦人も縁寿も自分の罪に気付き、
それぞれ贖罪の気持ちを持って行動していきました。
罪を償うべき相手がもう存在しなくても。


贖罪は謝罪という直接的行為のみで済まされるものではありません。
自分の罪がどんな傷を生んだのか理解し、
自分で過去の自分を許し、
新しい自分の生き方を示せるようになることも贖罪の道なのです。










叶うならば、
私は誰かに無意識のうちに傷つけられても許せる人間でありたいです。

そのために、
強さや優しさを自分のものとし、
世の中の条理と不条理を共に受け止められる生き方をしたいと思いました。




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何というか、、本当に愚かな文章です。

それでも、私は自分が愚かだと知れて本当によかったと、今でも思っています。









届くかどうかはわかりませんが、
この日記を竜騎士07先生に送りたいと思います。




考察その20 - 性別について その2 - [考察]

(2010年11月20日のmixi日記 より)




【性別について その2】



前回の考察では「恋ができない体」について考えました。


今回は、2つの性別を暗示する要素について考えてみます。
考察する要素を箇条書きで。

・ベアトリーチェと19年前の男
・ゼパルとフルフル
・理御
・紗音と嘉音






まずは、ベアトリーチェと19年前の男についてです。


EP7により、ベアトリーチェも19年前の男も別の世界の理御であることが明らかになりました。


ただし、EP5で夏妃は「19年前の男」とは一言も言わず、
「19年前の赤ん坊」と言っていますので、
19年前の赤ん坊が本当に男かどうかはわかりません。
19年前の男=19年前の赤ん坊であるかどうかもわかりません。




EP7以前に、私は紗音(ベアトリーチェ)と戦人は双子であり、
崖から落ちたのは戦人で、
EP5では紗音が弟の敵である夏妃に復讐しようとしていたのだとの推理をしました。

「うみねこのなく頃に」考察その14
ベアトリーチェの名前
http://usarabi-umineko.blog.so-net.ne.jp/2010-08-15


しかし、ここはひとまず、戦人を切り離しましょう。
「恋ができない体」を持ち、苦しんでいるのはヤスなのですから、
崖から落ちて怪我を負ったのはヤス自身である可能性が高いのです。




ですから、
「ベアトリーチェ=19年前の男=19年前の赤ん坊」
としてよいのではないかと思います。

そして、
「ベアトリーチェ=ヤス=紗音=嘉音」です。





ここから導き出される結論は、
「ベアトリーチェは男性でもあり女性でもある」
ということではないかと私は思います。



































男性でもあり女性でもある。

それを指し示す「体」は
半陰陽、つまり、両性具有
なのではないかと考えました。














他の要素についても考えてみます。



ゼパルとフルフル。
Tipsによると、彼らは性別が異なる、とのことです。

ということは、おそらくどちらかが男性で、どちらかが女性なのでしょう。
でも、どちらがどちらの性別なのかははっきりしません。

これは、性別を限定することのできない半陰陽の性を暗示しているともとれないでしょうか。


また、ソロモン72柱の序列第16位であるゼパルは
「女性を不妊にすることができる」能力があると言われています。
(参考文献)『「堕天使」がわかるサタン、ルシフェルからソロモン七二柱まで』森瀬繚、坂東真紅郎、海法紀光

そして、半陰陽の方は多くの場合、生殖能力に欠けていることが多いそうです。

ヤスがそうなのかどうかはわかりません。
でも、もしそうだったならば、


「うん。それは、とても幸せな家庭だよ。車と庭付きの家。そして飼い犬が一匹。庭には家庭菜園。子供たちが駆け回り、僕たちはバルコニーから微笑ましそうに見下ろすんだ。それが、僕たちの未来の日曜日の、当り前の光景だよ。」


子どもを欲しがる譲治の言葉はとても辛いものだったに違いありません。






次に、理御。


ウィルが男性なのか女性なのかを質問してしまうほど理御の存在は中性的であり、
理御自身も自分の容姿にコンプレックスがあるといいます。

理御もベアトリーチェやヤスと同じく半陰陽だったとするならば、
中性的であるというのもコンプレックスがあるというのもうなずける気がします。



理御は右代宮家の次期当主として大事に育てられてきたはずです。




が…


蔵臼や夏妃は世間体を気にしたり、子どもを好奇の目にさらすのを嫌いそうですから、
表には半陰陽ということは伏せられるのではないかという気がします。


そして、
現当主の金蔵は男尊女卑の考えが強い人ですし、
社会的にもまだまだ男性のほうがビジネス的に優位にあった時代だったと思いますので
おそらく、理御は「男性」として育てられたのではないかと思うのです。
あくまでも私の想像にすぎませんが。。





理御の「心」までもが男性なのかどうかはわかりません。



ただ、理御はヤスとは違い、
明確に次期当主として育てられてきましたし、愛情も与えられてきましたので、
精神的に安定しているし、立ち振る舞いには性別のことなど感じさせない次期当主としての覚悟があるように感じました。


目標があり、未来も見えていたので
ヤスほど「恋」に悩むことはなかったのでしょうか…







いや、きっとそんなことはないですね…






どれだけ自分の心を強く持とうとしていても、
多くの人にはわかってもらえない苦しみや
そんな苦しみがあることさえ知らない世界に
傷付くこともあるのではないかと思います。




恋に限らず、
自分の存在や生き方についても
性別を限定されて生まれてきた人間以上に
悩んでいるのではないかと思います。







前回、ウィルと一緒にいる時の理御には女性らしさを感じると書きましたが、
悩みを隠して気丈に生きてきた理御が
ウィルの前では少しだけ強がるのをやめているのかなぁというふうにも思えました。















では、次回は最後の要素。
紗音と嘉音について考えてみたいと思います。

考察その19 - 性別について その1 - [考察]

(2010年11月20日のmixi日記 より)




【性別について その1】



「よく性別を聞かれます。だから悔しくて、こう言い返してます。……どっちに見えますか?って。」
「………第5のゲームでは、お前は男ということになっている。しかし数多のゲームでは、女だと考えられてる。……右代宮戦人がゲームマスターを務めた第6のゲームでは、性別を違えつつも確定しない二人組の悪魔が登場し、それを暗示した。……いや、厳密には、一番最初のゲームからだな。………お前の性別は、ゲームの外側の、隠れた謎の一つだ。」

(EP7理御とウィルの会話より)





男なのか?女なのか?



私が読んだ印象では、親族の前にいる時の理御は男性らしく見えました。
特に下のような朱志香に対しての言葉遣いは男性の話し方だなぁと。



「朱志香。もう少し妹らしい言葉遣いは出来ないのかい? ついでに言うと、もう少し年頃の女性らしい言葉遣いにも気を付けてみるべきだね。あと、次期当主サマなんて呼び方は嫌いだって、いつも言ってるよ。」
「朱志香ッ! お客様もいらしてるというのに、どうして君はそういう言葉遣いなんだ…! また、母さんに言いつけられたいかな?!」









しかし、ウィルと二人きりでいる時の理御は女性らしく見えます。
後半になるにつれ余計にそう思いました。









さて、ウィルの発言でもあるように、
理御は別の世界でのベアトリーチェでありながら、
EP5では男性として登場しています。





私は今までの考察で、
「ベアトリーチェ=紗音」としてきました。
ベアトリーチェも紗音も女性であるはずです。

しかし、おそらく
「ベアトリーチェ=紗音=嘉音」であるだろうとも思っています。(ゲーム盤の上では)
嘉音は男性であるはずです。



これは、一つの存在の中に男性と女性があるということです。
そして、理御は非常に中性的な存在です。
それが指し示すことは一体何でしょうか?







紗音と嘉音は自分のことを家具だと言っています。
家具は恋なんてできないと言っています。

そのフレーズを思い出させるのが次の場面です。




「どうして…!! どうしてあなたたちは私を助けたんですか?! どうして死なせてくれなかったんですか?! 私はあの時の大怪我で、……こんな体で生きさせられている!! こんな体で、生きていたくなんかなかった!! こんな、恋をすることも出来ない体で……!! そんなの、そんなの、生きる価値がないんじゃないですか?! そんなのニンゲンじゃない……!! 家具じゃないですか!!」
「そう、私は、家具……!! 家具なんだ…!! どうして、………私をあの時に死なせてくれなかったんですかッ!! ぅわぁああああぁあああああぁああぁああ……!!!」





これを、六軒島で怪我を負ったビーチェの事だと考えている方も多いかと思います。
しかし、私はこれは19年前に崖から落ちて怪我を負ったヤスのハラワタなのだと考えました。

「家具」という言葉を何度も口にする紗音と嘉音の元であろうヤス、つまりベアトリーチェの回想なのだと。





上記場面で、「家具」の次に気になるキーワードは「体」です。

「こんな体で生きていたくなんかなかった」
「こんな恋をすることも出来ない体で」


恋をすることも出来ない体…
そんな体あるのでしょうか?



ヤスには怒られてしまうかもしれませんが、私はそんな体はないと信じています。
家具なんて言うのは間違っていると思います。


だからきっと、「恋が出来ない」のではなくて「恋が出来ないと思っている」のだと思ったのです。





ならば、なぜ恋が出来ない体だと思っているのでしょうか。。







EP6でほとんどの方が辿り着いた「紗音嘉音同一説」を参考に考えると、

・ヤスの中に女性の紗音と男性の嘉音という人格がある
・紗音の人格は戦人もしくは譲治が好き。嘉音の人格は朱志香が好き。
・元の人間は一人なので、どちらかの恋を叶えるならば、どちらかの恋を諦めなければならない。


複数の人格を持っているがために、誰か一人だけに恋することができないと思っているということでしょうか?
それとも、同性に恋することはできないと思っているということでしょうか?


確かに、自分もその立場に立たされたら「恋なんか出来ない体」と思うかもしれません。









でも、、



やっぱり自分がその立場に立ったとしても「恋が出来ない体」だとは思いません。

世間一般で思われているような「普通」の恋愛はできないかもしれない。
想いは成就しずらいかもしれない。

でも、
もしかしたら、その中の誰かと結ばれるかもしれない。
それは叶わなくても、また他の誰かと出会って、恋に落ち、結ばれるかもしれない。





生きてさえいればまだまだ可能性はあるのです。
島さえ出てしまえば、もっと広い世界があるのです。



時代背景が違うので周囲にはなかなか理解してもらえないかもしれませんが、
熊沢や源次や南條ならば、きっと力になってくれるはずです。










それなのに、

ヤスは「生きる価値がない」と言います。



まるでそれは、
その中の誰とも結ばれないし、他の誰とも結ばれない。
そして、どんな恋をしたって叶わないと信じこんでいるようにも見えます。

未来を見ることができないのです。



それが「恋をすることの出来ない体」の苦しみなのだろうと私は思いました。







では、次の考察に続きます。

考察その18 - ハラワタの中身 その3 - [考察]

(2010年11月14日のmixi日記 より)




【ハラワタの中身 その3】





「ハラワタの中身」考察も今回で最後になります。




1と2のまとめです。


・ヤスが知るはずのない金蔵の過去を知っていたのは、
金蔵の遺言にそのことが書かれていたからではないか。
・ヤスは黄金のあった部屋で何か他のものも見つけたのではないか。
それが遺言という可能性もあるのではないか。
・金蔵の過去の秘密や家族への想いを綴った手記(遺言)を読んだことがきっかけとなり、
メッセージボトルの物語を書く決意がヤスに生まれたのではないか。



補足としましては、
ヤスが読んだのは遺言というよりは、
金蔵の日記、手紙、懺悔の手記、といった感じのものだったのではないかと思っています。










さて、今回考察したいのは碑文です。

注目したのは最後の部分。



 魔女は賢者を讃え、四つの宝を授けるだろう。
 一つは、黄金郷の全ての黄金。
 一つは、全ての死者の魂を蘇らせ。
 一つは、失った愛すらも蘇らせる。
 一つは、魔女を永遠に眠りにつかせよう。

 安らかに眠れ、我が最愛の魔女ベアトリーチェ。





「黄金郷の全ての黄金」というのは、そのまま「黄金」という意味で良いと思います。
しかし、他の3つは何を指しているのでしょうか?







これは、金蔵が作った碑文です。

その金蔵の想いを知っていた源次は、
ヤスにヒントを与え、碑文の謎を解く手助けをします。

ヤスがベアトリーチェのドレスを着て書斎にやって来たときには
金蔵はヤスが自分の子供であることを既に知っていたし、
源次は親子であることを明かす時が来たと考え、ヤスを手伝ったように見えました。





ということは、
金蔵は初めからヤスに碑文を解いてもらう奇跡を望んでいたし、
この碑文は誰よりもヤスのためにあったのではないかという予想ができます。


碑文の「四つの宝」も
ヤスに与えたいがために用意されたものではないのでしょうか。










碑文の「黄金」以外の宝。


それを解く鍵は遺言にあるのではないかと私は思っています。








「一つは、全ての死者の魂を蘇らせ。」

自分のせいで命を失った戦友やイタリア軍、ビーチェや九羽鳥庵ベアト。

彼らに真実の告白を。そして懺悔を。



「一つは、失った愛すらも蘇らせる。」

豪胆な態度でしか接することのできなかった親族。
ただ一人の人として愛することのできなかったビーチェ。
自分の歪んだ愛情のせいで辛い生を強いられた九羽鳥庵ベアト。
自分の過ちのせいで家具としての生を強いられたヤス。

彼らに愛を。そして懺悔を。



「一つは、魔女を永遠に眠りにつかせよう。」

ビーチェの面影を誰かに重ねることはもうやめよう。



「安らかに眠れ、我が最愛の魔女ベアトリーチェ。」

愛の鎖で縛ってきたビーチェに、別れを。




















ヤスにとってみれば、
今更懺悔をされたところで簡単に受け入れられるものではないと思いますし、
昔の秘密を知らされたところでショックしか受けないのではないかと思います。


それでも、
家具としての人生を歩むことになった道程を知る権利がヤスにはありました。


実の父が愛ゆえに罪を犯したことも
その罪に永遠に悩まされていたことも
許すことはできずとも理解しようとしたのではないかと思います。














金蔵にとっては
ヤスに理解してもらうことが一番嬉しいことのはずです。



どうかヤスに父の心が届いていることを願います。





考察その17 - ハラワタの中身 その2 - [考察]

(2010年11月7日のmixi日記 より)




【ハラワタの中身 その2】



今回はヤスが金蔵の遺言により金蔵の秘密を知ったと考えた根拠について。

最初に言っておくと、はっきりと書かれている箇所はありません。
ですが、私がそう読み取った伏線を記したいと思います。










【前提】
ヤス=紗音と考えています。


【年表】

■1984年10月(アニメ第6話より)
絵羽一家が六軒島に事業の金の無心にやってくる。
紗音が譲治にかばわれる。

■1984年11月29日(EP7より)
ヤスが碑文の謎を解き、黄金の間に至る。
自分の両親が金蔵と九羽鳥庵ベアトであったことを知る。
金蔵死亡。

■1984年10月~1985年12月の間
紗音がベアトリーチェに初めて会う。
紗音と嘉音が黄金蝶のブローチを手に入れる。

■1985年3月頃(EP6より)
1986年10月の19ヶ月前。

そして19ヶ月前は
それは、この物語を生み出すのに、かかった月日の数。(EP6より)
※この物語=「メッセージボトルの物語」、月日=「ヶ月」と解釈

■1985年10月
1985年親族会議
戦人は参加せず。

■1985年12月(アニメ第6話より)
紗音が鏡を割る

■1986年10月4日・5日
最後の親族会議




【ポイント その1】

「…見つけたのは、黄金だけだったのか?」
「はい、その時は……。積み上げられた黄金に、目が眩まぬわけもありませんでした…。」


この会話。
その時「ではない時」に、黄金「以外」を「見つけた」と読むことができないでしょうか?

ヤスがこの部屋に入ったのは1984年11月29日が初めてですから、
その時以外というのは1984年11月30日~1986年10月4日まで。

また、黄金以外でこの部屋にあったとわかっているのは爆弾の起爆装置となっている時計ですが、
時計に仕掛けがあることは「見つける」というより「知らされ」なければわからないはずです。
(「見つける」ためには作動させないといけないと思いますし)
ですので、ヤスは時計ではないものを「見つけた」のだと私は読みました。
そして、それが金蔵の遺言だったのではないかと思っています。


【ポイント その2】

黄金蝶のブローチとは?

黄金蝶のブローチは家具の恋を叶える魔法のブローチ。
家具は人間ではないから、恋をする資格がない。


では、恋を叶えるその魔法の正体とは一体なんだったのでしょうか?


ものすごくひどい言い方をしてしまうと、
人間ではないものを人間にする具体的な方法はないと私は思います。

具体的な方法がないならば、考えられる方法は2つ。
「家具である自分を受け止め、恋を諦めないこと」または「想像の世界で恋を成就させること」


紗音が選んだのは後者であったと思います。
それは決して彼女が臆病だったからではなく、前者を選ぶのがあまりに辛すぎたためです。
(そのあたりは後の考察で書こうと思っています)




紗音の恋を成就させることのできる想像の世界。
それが、メッセージボトルの物語の中に含まれています。

そして、黄金蝶のブローチとは、
彼女にその物語を書かせるきっかけとなったものであり、
「紗音に夢を見ることを許した」
ものだったのではないだろうかと思うのです。



紗音は黄金蝶のブローチなどなくても魔法が使えます。
しかし、本物の恋の前ではその魔法も限界を迎え、
現実とは違う別の世界を作ることが必要になったのではないでしょうか。



そして、私は
黄金蝶のブローチ=「金蔵の遺言」
だと考えています。



実父の自らの秘密を告白する手記を読んだ時、
彼女自らの想いと願いを残す決意が芽生え始めたのではないだろうか、と。


上の年表にあてはめると、
・黄金蝶のブローチ、つまり、金蔵の手記を見つけたのが1984年の11月29日から1985年の3月までの間
・1985年3月からボトルメールの執筆開始
・紗音が鏡を割ったのが1985年の12月なので
 恋の願いが物語に散りばめられたのは1985年の12月以降。
・1985年の3月から1985年12月までの間は
 金蔵の遺言(家族に対する想い)の内容を含めたミステリーの骨組みの作成をしていた。


ちなみに、金蔵の遺言に家族への想いが綴られていたかどうかは定かではありません。
ただ、EP7で語られるクレルの物語からは紗音の右代宮家の人間に対しての愛情はあまり読み取れなかった気がします。
(本当に個人的な意見です。すみません。)


考察その3
「金蔵遺言説に至った理由について その2」
http://usarabi-umineko.blog.so-net.ne.jp/2010-04-23_3
で書きましたが、
私がEP1~3を読んだ時に最も強く感じたものが家族への愛でしたし、
今までの考察でも、この物語は金蔵と紗音の想いが入り混じっていると書いてきましたので、
その部分は消さずに一つの考察として出させていただきます。









以下、私見です。


物を書くということは、
自分の形にしたい想いが言葉になって残るということです。
その読者には、それを受け止め、想像し、解釈する権利があります。
筆者と読者の思想に差異があるにせよ、
読者がいることでその文章に広がりが生まれます。


ある意味、究極の「無限」です。


それでも、
文章の核は筆者の想いであり、
その想いを理解してくれる読者が現れるのを
筆者は待っているに違いないのです。


無限の中にある真実を見つけてくれる人がいたのなら
それは「奇跡」とも呼べるのかもしれないなぁと
なんとなく思ったりもしました。
















推理の核となっている部分を曖昧にして書いてしまったので
かなりわかりづらい文章となってしまったことをお許しください。

予定では、一番最後にその部分の考察を書こうと思っていたのですが、
ちょっと考え直してみようかと思います。。



考察その16 - ハラワタの中身 その1- [考察]

(2010年9月26日のmixi日記 より)




【ハラワタの中身 その1】



EP6裏お茶会より


「ふっ、……ふっふふふふふふふ…! 任せなさい。……はらわた引き裂いて、中身を全て引き摺り出すのは私のもっとも得意とするところ。………あんたの仕込みだもの。」





上記のベルンの発言から、EP6が終わった時点では
「EP7のゲームは相当えげつないものになるに違いない」
と思っていました。


ですが、実際は違った。
まさか、お茶会のあの方法で憂さ晴らしをするとは思っていませんでした。






でも、しっかりベルンはハラワタを引き摺り出しているんですよね。。



「綺麗に死ねたつもりだった? くっひひひひひひ!! 死骸をハラワタ引き摺り出して辱めるのが、私の一番得意なことだってのに…!!」

突き立てた大鎌を、無慈悲に無残に残酷に、……天へ振り上げる。
………クレルの体に、下腹部から胸部にかけて縦一文字に、……深々と刃が走り、………開腹する。
そして、その赤黒い中身が、……どろりとはみ出し、それから堰を切ったかのようにどっと溢れ出して、世界を赤黒い臓物で埋めた……。



(以下、赤バックのページ)

「イ、イタリア人の黄金を奪うだと? 卑怯者め、右代宮、貴様、それでも帝国軍人かぁあああぁ?!」

「………お、お父様……? わ、私はお父様のことを敬愛いたしております……。 で、でも、……そのお父様の気持ちには、その……。」




続き見せろよ、と言われそうなのですが、
それはまた別の機会に考察しますので、今回はここまでとさせてください。



さて。

ベルンがクレルに鎌を突き立てる様子。
「世界を赤黒い臓物で埋めた」
とあり、それ以降に赤バックのページが何枚か入りますので、
私はそれが「ハラワタの中身」だという解釈で読みました。



…と考えた時に、
「イ、イタリア人… ~ お父様の気持ちには、その……。」は不自然であると思いました。

どちらも「クレル自身のこと」ではないからです。

ただ、ハラワタの中身である以上、
それは「重要」であるし「真実」であるという認識に至りました。



ならば、「実は金蔵が黄金を奪うことを提案した」という事が
なぜクレルの中身として出てくるのか?
なぜクレルがそれを知っているのか?



九羽鳥庵ベアトがうろたえる様子は、
もしかすると源次などから話を聞いたのかもしれませんが、
金蔵が黄金を巡るあの殺し合いの発端だったということを
源次は知っていたのでしょうか?
例え知っていたとしても、金蔵の子であるヤスにあえて話したりするでしょうか?


また、ヤスが金蔵が実父であると知ったのは、
金蔵が死ぬ間際でしたから、本人から昔語りを聞く暇はなかったでしょう。
さらに、EP7で登場する理御が存在するもう一つの世界でも
金蔵は自分がそんな企てをしたことを理御に話していません。



まぁ、、当然ですよね。。
とてもじゃないですが、人に告白できるような内容ではありません。
自分が愛している人になら、尚更。


ヤスや理御だけでなく、源次、熊沢、南條、
そして、九羽鳥庵ベアトやビーチェにすら
「話せなかった」と考えてもおかしくはないと思うのです。





だから、私はこの事柄が、
金蔵の「秘密」であったのではないかと考えました。

その「秘密」をヤスはどこかで知ったのではないでしょうか。





では、どこで知ったのか?

それは、私が前々から唱え続けてきた
「遺言」によってではないだろうかと思うのです。








まぁ、またかよと言われそうなのですが。。


少し長くなりそうなので今回はここまでとさせていただき、
次回以降はそう考えた根拠をあげていきたいと思います。

それでは。

考察その15 - EP7を終えて - [考察]

箇条書きではありますが、感想と少しの考察を書きたいと思います。







・時間がたつのを忘れて読ませていただきました。
・とても素晴らしいEPだったと思います。
・素晴らしいという言葉では浅すぎるのですが、適当な言葉が見つからない。。


・印象としては、はっきり書いているようでいて書いていない感じに思えます。

・自分の今までの推理については、まだまだだったと感じました。


・イトミミズとか呼んでてほんとにすみませんでした。

・金蔵思ってたよりいい人じゃなかった。。
・というか、私がいい人想像をしすぎてたw
・かわりに源次の株が自分の中でとてもあがりました。
・でも、金蔵はやっぱり大好きです。

・マモンが眞音?

・ウィルがメイドさんを助けたのって何かの推理小説を表した描写でしょうか?
・というのが気になって、目下調査中。
・情報提供大歓迎ですm(_ _)m

・ウィルがEP1~4までの事件の謎をばっさばっさと切ってくれましたね。
・あれを見る限りでは「紗音=嘉音」で決定という感じがする。
・んー…私の「16人17人並列説」は気に入ってたんだけどなぁ^^;

・お茶会は真実だと受け入れました。
・しかし、あれが全てではないと思う。
・特に霧江が縁寿を愛していなかった証明になるとは思えない。
・「留弗夫をつなぎとめるため」「かわいくない」と思っていたとしても、
 霧江は縁寿にそれを感じさせない育て方をしていた。
・だから、縁寿の思い出の中の霧江の姿まで歪める必要はない。
・また、霧江が本心であの言葉を発していたかどうかは本人にしかわからない。
・仮に「本心だ」と自分で思って言葉にしていたとしても、
 本当の本心に自分で気づけていないこともあると思う。
・というのは、私が日常生活で自分自身や周囲の人をみて感じてきたこと。
・なので、例えうみねこ世界であっても、私は自分のルールを適用します。
・だからこそ、あれを縁寿に見せたベルンが憎いです。
・いくつもの縁寿の真実を一つの真実が壊してしまったことが憎いです。
・どうか負けないで、縁寿!

・でも、絵羽が縁寿のことを気遣ってくれていたのは嬉しかったな。
・あと、譲治と紗音の指輪のシーンがちゃんとあったのは嬉しかった。
・実は、譲治の愛を疑いかけていたところもあったので。。本当に良かった!

・嘉音は実在しているように思える。。
・ゲーム盤上では「紗音=嘉音」だとしても現実の世界では。


・なぜ、ベアトリーチェが「戦人に解いてもらいたい」と思っていたのかについては
 わかったような気がします。


・理御とベアトについては一つの考えがあるのですが…
・今はまだそれを口にすることができません。
・その考えを問題視してしまう自分に対しての嫌悪感がひどいです。
・自分の早とちりという可能性もあるので、この考えについてはもうしばらく吟味したいです。


・私は金蔵遺言説を捨てるつもりはありません。
・ただし、遺言は私が考えていたほど綺麗な内容ではない可能性があるかと思います。
・遺言というよりは日記や手紙に近いのかも。
・それと、この物語のベースは遺言ではなくて、あくまでベアトのゲームなのかな、と思い直しました。
・だとすると、「金蔵遺言説」という呼び方は正しくないかな。。
・これについては、後日考察を書きたいと思います。










最後に。

素晴らしいEPを製作してくださった、
竜騎士07先生、全てのスタッフの皆様に深く感謝いたします。

EP8も楽しみにしております。
本当におつかれさまでした!



考察その14 - EP7を前に - [考察]

タイトルにもあるとおり、EP7のネタバレは一切含みません。
というか、EP7が手元にくるのが明日なので含むことができませんw

そして、いつもはmixiで先に日記を書いてからこちらにコピーするのですが、
今日「考察日記」という名のつくものを上げると、
マイミクさんから「ネタバレあるんじゃないか」と警戒されてしまいそうなので
こちらで先に日記を書くことにいたしました。



もう明日なんだから静観してればいいんじゃないの?って感じなんですが、
せっかくなので、今まで考えてきたけど書けなかったことを出してしまおうと思いました。
ただ、急ぎで書くのであまり論理的に書けないと思います。申し訳ありません。
でも、きっと、EP7後はそんなに推理できなくなっちゃう気がするんで。。



もし、全然的外れなこと書いてたら、数日後に盛大に笑います!
皆さんも笑ってやってください!www






■ベアトリーチェが殺人を犯した理由

これは、完全にマイミクさんの受け売りです。すみません。

私は、「ベアトリーチェは戦人に好かれたいという気持ちを歪ませた」
ために殺人を犯したと最初は考えていたのですが、
「ベアトリーチェは戦人に好かれたくて」殺人を犯したという考えを拝見し、
今では自分もそのように考えるようになりました。

言葉が直接的だと誤解を招くと思いますので説明いたしますと、
戦人はEP5でヱリカに推理小説の知識の間違いを指摘する場面で
かなりの読書家だと思わせる発言をしています。
(本人は「本を読んでる」うちには入らない、なんて言ってますが)
ミステリーには相当詳しそうです。
EP1で「ニンゲンで説明する」とベアトリーチェに宣戦布告したのも、
ミステリー好きの性格が影響しているのかなぁとも思います。

ベアトリーチェの元となっている人物は、
戦人の好み、つまり、彼がミステリーを好むということを知っていた。
なので、戦人に好かれたい一心で、
彼が好きなミステリーを構築したのではないかという考えです。

ただ、始まりは「好かれたい」という気持ちで殺人を犯していたとしても、
戦人との約束を待つ間に恋心が歪み、残虐になっていったのではないか、
とは今でも思っています。



■ベアトリーチェの名前

考察その8 - メッセージボトルの署名が右代宮真里亞であった理由
http://usarabi-umineko.blog.so-net.ne.jp/2010-04-24_3

でも書いたのですが、私はメッセージボトルの筆者こそがベアトリーチェであり、
ベアトリーチェの本名は「右代宮真里亞」ではないかと考えています。

ただし、上記URLの考察とは違い、
今では、メッセージボトルの筆者の本名こそが
「右代宮真里亞」なのではないかと思っています。


「右代宮」姓なので、もちろん右代宮家の人間です。
ただし、「真里亞」と言っても楼座の娘の真里亞が
惨劇を起こしたベアトリーチェとは考えていません。



じゃあ誰なのかと言いますと、
EP5で夏妃をカアサンと呼んでいた
「19年前の男に関連する者」ではないかと思うのです。


間違っていたら指摘していただきたいのですが、
EP5で夏妃は「19年前の男」ではなく「19年前の赤ん坊」と
言っているように見受けられます。

ただ、それは赤ん坊が「本当は女だった」ということを示すのではなく
性別をわざと曖昧にして書かれているのではないかと感じました。

「19年前の男」は確かに存在するけれども、
夏妃を本当に追い詰めようとしていたのは「女」で
その人物こそが本名を「右代宮真里亞」という
ベアトリーチェなのではないか、と考えました。



なんか話がまどろっこしくなってきてしまったので簡潔に書きます。
ただし、私の推測の域を出ない考えなのが申し訳ないです。


・紗音=ベアトリーチェ
・紗音は戦人が好きだったが諦めざるをえなかった
・紗音と戦人は双子の兄弟
・紗音と戦人は金蔵と九羽鳥庵ベアトの子
・紗音の本名は右代宮真里亞


おそらく、この中で最大の問題点は
「どうして紗音が金蔵の子ってことになるの?」ということだと思うのですが、
私が唱えている金蔵遺言説で、
なぜ金蔵の遺言の想いが紗音に託されたのか?と考えた時に
「実は紗音が金蔵の娘だったから」という考えが
一番それらしい答えに感じられるような気がしたから、
としか言えないです。。情けない。。


また、EP6で「19」に関連する事柄で
「この世界の、本当の領主の、年齢」
と描かれているのを合わせて、

・「本当の領主」=ベアトリーチェ=紗音
・「19年前の男」=戦人
・両者とも金蔵の子


と仮定し「双子」と考えました。
兄弟と知ったら恋も諦めざるをえなくなるかなとは思いますし。。
兄弟を崖から落としたとなると
夏妃を恨む気持ちも大きくなると思いますし。。



それと、これは私個人の印象なんですが、
紗音と嘉音も少し双子っぽく描かれていると思うんですよね。
年齢が同じだったり、お互い本当の兄弟のように思っていたり。
紗音は、嘉音と戦人という二人の弟を重ねて
メッセージボトルの物語を書いていたのかな、なんて思ったりもします。



■なぜ実際の惨劇が起こったのか、の妄想

私は、EP1~EP6までで描かれていた惨劇は創作だと思っています。
でも、実際の1986年の親族会議時に惨劇は起こった。
それは事件だったのか、事故だったのか?


誰かの何らかの意思が働いた結果、ではあると思います。
だから、事故というよりは、事件に近い。


なぜならば、
縁寿や南條、熊沢の親族のもとに届いた封書が
親族会議の前に送られていたから。
送った人物は惨劇が起こるという可能性があるということを知っていて、
あのような封書を送ったと考えるのが自然な気がします。

また、
メッセージボトルは1986年の親族会議を描いていました。
その同じ年に実際の惨劇も起こったとなると
もはや、偶然、事故が起こったとは言い難いのではないでしょうか。
メッセージボトルを書いたベアトリーチェが何らかの形で
実際の惨劇に関わっていたと私は考えます。



EP6で「六軒島爆発事故」という文字がありました。
警察の調べでは事件性はない、生き残った絵羽にも怪しい点はない。
ただ、事件性がわからなくなるくらい粉々になっていたということも
考えられるのではないかと思います。



さて、ここからは私の妄想です。


絵羽は生き残ったのではなく、
ベアトリーチェによって生き残らせられたのではないでしょうか。

「なぜ絵羽だったのか?」ということについては
本当に金蔵から一番跡取りとして有望視されていたのが
絵羽だったからと考えています。
EP3で碑文を解き、
唯一生き残った絵羽の有能さを描いた大元になったのが金蔵の遺言。
金蔵の娘の紗音はそれに忠実に従い、
絵羽を生き残らせることを選んだのではないかと思います。


ただ、それならばなぜ他の者たちを殺したのか?
「それも金蔵の遺言だった」とすることもできなくはないと思うのですが
金蔵も紗音も大勢の人を殺せるような人間だとはどうしても思えないんですよね。
まぁ、思いたくないというのが正しいのですが。。


そこで考えたのが、
「次期当主である絵羽の選択に委ねた」というものです。
ただし、絵羽に
「自分が生き残るか」「親族が生き残るか」を選べと迫ったのではありません。
絵羽も親族を殺せるような人間ではないと思いますし。。


考えられるのは「黄金」と「黄金ではない何か」を選ばせた。
絵羽が「黄金」を選んだ結果、何らかの仕掛けが動作し、
爆弾等による爆発事故が起こったという推測です。
そして、結局、絵羽は黄金も手に入れられなかった、と。。


紗音はあらかじめ、絵羽が「黄金」を選び、惨劇が起こると予想がついていた。
なので、縁寿たちに前もって
封書を送ることができたのではないかという妄想です。



本当に妄想すぎて恥ずかしい。。。







まだ、全部は書ききっていないのですが、
明日に備えて今日はここまでとさせていただきます。
グダグダな日記で申し訳ありません。


もう考察を書くこともないかもしれませんが、
またどこかで皆さんにお会いできたら嬉しいです。
それでは!EP7楽しみましょう!!

考察その13 - 金字について - [考察]

(2010年5月23日のmixi日記 より)



【金字について】



今回の結論はギャグみたいですw
でも、本人は至って真面目に考えたんですよ!





「ゲームの答えを知った者にしか使えません。答えを知っていれば、ゲームマスターでなくても使えます」
- EP5真相解明読本 巻末インタビューより -







以前私は、
赤字はゲーム盤上の真実であるのに対して、
金字とはゲーム盤を作る上での前提ではないかと考察しました。

考察その7
「金蔵遺言説の矛盾について」
http://usarabi-umineko.blog.so-net.ne.jp/2010-04-24_2



これに修正を加えます。



修正を加えるきっかけになったのはEP6のこの金字。

そなたが魔法にて、伏せたカップの中に黄金の花びらを生み出した。見事な魔法であったぞ。



正直びっくりしました。


なぜ姉ベアトが金字を?
彼女はゲームマスターではない。。
しかも、EP6から出てきたキャラなのに、どうしてゲームの答えを知っているのか?


加えて、金字の内容にも違和感を覚えました。
EP5で戦人が使った金字とは少し性質が違う、と感じたのです。


戦人の金字は、場を切り裂く決定的な鋭い真実。
姉ベアトの金字は、妹ベアトの優しい魔法を守る真実。



「金字」=ゲーム盤を作る上での前提
という定義にはどちらも反さないかもしれません。
(私自身も妹ベアトの魔法は本物だと思っていますし)
ただ、姉ベアトの金字の内容は魔法を理解するポイントを押さえてはいても、
ゲームを理解した証である、とまでは言えないように思えました。
「前提」という定義だけでは金字を表わし尽くせないと感じたのです。




そこで、まず、
「なぜ姉ベアトが金字を使えたのか?」
を先に考えてみることにしました。



姉ベアトは妹ベアトが魔法をかけている時に

「それは、………かつて真里亞にキャンディーを与えたのと、同じ魔法。」

と言っています。


ここから、真里亞と遊んでいたベアトリーチェは、
姉ベアトだったのではないかと予想をしました。

ベアトリーチェはミルクポットの影にミニカーを仕掛けたりなどの
「不確実な悪戯」を好んだという記述がEP4でありますが、
それがEP6の姉ベアトの
「一見ただの悪戯に見える魔法」である鍵開けと似ていることも理由の一つです。







さて、突然ですが。
ここでEP4の親族会議時のこの場面を思い出してみます。

「だがな、真里亞ちゃんはこう言ったんやろ?お祖父様がやって来て、傘を渡してくれた、と。」
「えぇ、そう言ったわ。お祖父様から直接受け取ったとはっきり言ったわ。」



これ、変、ですよね。。


1986年の親族会議時には金蔵は死んでいるのです。
傘を渡せるはずがありません。

そして、EP1~3までは一貫して、
真里亞がベアトリーチェから傘や手紙をもらう描写がありました。


なぜEP4だけ金蔵の名前を出すのでしょうか?
ゲームを撹乱したいゲームマスター(ベアトリーチェ)が意図的にその部分を作り変えたのでしょうか?



いえ、私はこう思います。

真里亞はEP4でもベアトリーチェから傘をもらっていたのです。
端的に言うと、
EP4の真里亞はベアトリーチェを金蔵だと思っていた、もしくはベアトリーチェが金蔵だと知っていたのではないかと思うのです。
だから、ベアトリーチェからもらったと言わずに、金蔵からもらったと言ったのでは、と。



実は、この考えは推理を始めた当初から持っていました。
自分でもあまり気付いていませんでしたが、かなり重要な金蔵遺言説の土台となっています………と話がそれました。
すみません。



真里亞はベアトリーチェ=金蔵だと思っている。
それは、即ち、真里亞と遊んでいたのは金蔵ということであり、つまり、姉ベアト=金蔵ということになります。




ただし、金蔵は1986年の親族会議時にはすでに死んでいるので、
真里亞に傘を渡したのはもちろん金蔵ではありません。
なので、真里亞は金蔵からもらったと「勘違い」したことになります。

ベアトリーチェがそこにいたと真里亞にわかってもらえるように、
使用人の誰か(私の考えでは紗音)が傘を置いて行ったのではないでしょうか。
それを見た真里亞は直接ベアトリーチェに会わずとも、その姿が見えなくとも、
ベアトリーチェがそこに「い」るとわかったのです。


もしかすると、金蔵と真里亞は顔を合わせずに交流することが多かったのかもしれませんね。
だから、ベアトリーチェが目に見えたのかどうかは、
真里亞にとってはそれほど問題ではなかったのかもしれません。
顔が見えなくても確かにそこに「い」て、真里亞を支えてくれていたのだから。。



と思うのは私がそう信じたいからなわけですが、
ベアトリーチェ=金蔵オンリーというわけではやはりないでしょう。
使用人の協力もあって金蔵が真里亞と交流できていたと考えるのが自然です。


ただ、ひとまずは、姉ベアトの最大要素は金蔵であったと仮定させていただきます。





こうして、違うアプローチながらも、
姉ベアトは金蔵の想いが強く顕現された存在ではないかという私の以前の考察と同じところに辿り着きました。

考察その11
「EP6の主題について」
http://usarabi-umineko.blog.so-net.ne.jp/2010-04-28-3


そして、EP5の戦人の
この死体が右代宮金蔵の死体であると保証する…!!
という金字。







金字に関するパーツが全て金蔵に関連したものであることに気がつきました。










結論です。

「金字」=金蔵の言葉

ではないかと今では考えています。



金字の「金」は金蔵の「金」ですねw

ダジャレかよwww



と、ふざけて書いていても仕方がないので、もう少し詳細を。



まず、金蔵の遺言が大元にあるという考えは今までと変わりません。
そこに紗音の想いがのせられてゲーム盤が作成されました。
イメージ的に、ボス→紗音、大ボス→金蔵、みたいな感じです。


金蔵の遺言が大元ですので、金蔵が死んでいることは絶対条件です。
ですから、

この死体が右代宮金蔵の死体であると保証する…!!

というのは金蔵の意思ですね。


また、

そなたが魔法にて、伏せたカップの中に黄金の花びらを生み出した。見事な魔法であったぞ。

というのは、
金蔵と真里亞の思い出を守る意味があったのではないかと思うのです。


最後に、

なぜゲームマスターならば金字が使えるのかは、
ゲーム盤が金蔵の遺言から成り立っていることを知っているから。
ゲームの答えを知っている者ならば使えるというのは、つまり、その前提を知っているからということではないかと思います。







おそらく、、
この考えは、私が金蔵遺言説を持っていたから出てきたものです。
そうではない方にはあまり同意していただけないとは思います。。


ただ、自分の考えた帰結として文章にさせていただきましたことをご了承ください。



それでは。



考察その12 - 島の人数について - [考察]

(2010年3月17日のmixi日記 より)



【島の人数について】



別の考察をする予定でしたが、
EP6でかなり核心に迫ったと感じたこちらの考察を先に。







まずはこちらを。


初めまして、こんにちは!探偵ッ、古戸ヱリカと申します!!
招かれざる客人ですが、どうか歓迎を!!

我こそは来訪者ッ、六軒島の18人目の人間ッ!!!




…………申し訳ないが、

そなたを迎えても、

17人だ。





18人?17人???



しかし、

・本編が戦人とベアトのセリフで締めくくられていること
・お茶会で黄金郷に至っていること
・お茶会にはエリカが登場しないこと

から、
戦人とベアトがエリカに勝利したと受け取れると思います。



つまり、「元々の島の人数は16人」が真実である、と。。







では、なぜエリカは「18人」を赤で言えたのでしょうか?





初めは、

18人…多重人格のそれぞれの人格を一人と数える
17人…多重人格の主人格を一人と数える

だと考えました。
なので両方とも真実たりえる。



「多重人格」が両方とも前提です。
おそらくほとんどの方がこの結論に達したのではないかと思います。








ですが、こう考えることはできないでしょうか?



「17人…多重人格の主人格を一人と数える」

「18人…多重人格の人間はいない」



ルールは以下のとおり。

・元々の島の人数が16人か17人かの真実は読者が選ぶことができるように作られている。
・ただし、ゲームマスターがどちらか一方を選択した場合、もう一方は真実でなくなる。





この考えに至ったのはEP5とラムダの言葉がきっかけでした。


もちろん、これまでの人数にプラス1してもらうわ。
でも安心して。
古戸ヱリカが1人増えただけ。
それ以外の在島者の人数は、これまでのゲームとまったく同じ。



いわゆる「紗音嘉音同一説」ですが、これは大分前から唱えられてきた説でした。
確かに、EP1~EP4までは戦人が二人を同時に見ていませんから、この説の説得力は十分だと私も思います。



ただ、ラムダの「在島者の人数はこれまでのゲームと全く同じ」という言葉に従ってEP5を眺めるとどうにも納得がいかない。。

紗音と嘉音の2人が探偵権限のあるヱリカと同じ部屋にいる場面が描かれているのに、
「紗音=嘉音」とするのは無理があるのではないか、、と。





「紗音と嘉音が同部屋に両者とも存在したと観測したのは戦人でありヱリカではない」
「嘉音は人間ではなく動物である」
等々の推理を目にしたことがあります。
そして、それをどれ一つとして私には否定することができません。





ですが、やはり自分の違和感は自分で徹底的に消しておきたいと考え、先の仮説をたてました。



もう少し詳細を記します。


EP1~EP4
ゲームマスター:ベアトリーチェ
島の人数:16人もしくは17人

EP5
ゲームマスター:ラムダデルタ
島の人数:17人
備考:ゲーム開始時からラムダは「17人」を選択。
片方の真実でしか眺めることを許されないゲーム盤を、ロノウェは「愛がない」=「EYE(片目)がない」と称した。

EP6
ゲームマスター:戦人
島の人数:16人
備考:「17人」と赤字で宣言した際に「元々の在島者は17人」の真実は否定された。





ベアトリーチェは島の人数が16人もしくは17人どちらともとれるようなゲーム盤を作成していた。
つまり、真実は2つ用意されていた。
これこそがゲーム盤の最大のロジックトリックである。
というのが私が現時点で至った仮説です。


少し視野を広げるだけで、まったく違う真実も見えてくるのだ。

……そしてその真実はどちらも”真実”でありながらも、……それしか見えてないなら、不正解なのだ……。



まさしく、この言葉のとおり。



真相に至りゲームマスターになった戦人が
「紗音=嘉音」が最も全面に出ているEP6のゲーム盤を作ったのは、
そのロジックトリックの内、わかりづらい「16人」の方を明かすため、だったのではないでしょうか。

まぁ、だとしても、「17人」を否定しなくてもよさそうなものですが
ですが、ロジックエラーを起こしてしまったあの密室を「16人」の側でしか脱出できなかったため、やむを得ずだったのかなぁと思っています。
あのエラーがなかったら、また違った物語が描かれていたのかもしれません。。







余談ですが。


私はゲーム盤を創作された世界だと思っています。
なので、現実の1986年10月4日と5日に六軒島で何が起こったのかは未だ作中で明らかにされていないと考えています。


そして、「嘉音」という人物についてですが、
「紗音=嘉音」という多重人格が、実世界でそれぞれ別の人格と認められて六軒島関係者に受け入れられていたとは少し考えにくいと思います。

なので、「嘉音」という人物は存在していたか存在していなかったかのどちらかではないかと。


そこで気になるのが事件後に発見されたとされるメッセージボトルです。
EP1とEP2が記されたものということなので、EP6のように嘉音の存在を容易に疑えるような内容ではないと思います。

EP4で事故当日に警察が片方のメッセージボトル(おそらくEP2のほう)を回収していたとありますので、
その内容はある程度把握して捜査に臨んだものと予想できます。
もし「嘉音」が実在していなかったら「この物語に出てくる嘉音という人物は誰だ?」という謎が生まれると思いますし、
物語とはいえ、実在しない人間がわざわざ描かれているという点で、
「嘉音」にあてはまるような実在の人間が鍵を握る人物として怪しまれるような気がするのです。



ただ、そのようなことは作中で今まで出てきていない。



なので、私は「嘉音」は実在していたのではないかと思うのです。
実在していてほしいという気持ちが強いからそう思うのかもしれないのですが。。


もしかしたら、警察はメッセージボトルの内容なんか全然参考にしていないかもしれないし、
「嘉音は誰?」という謎は生まれたけれども作中で書かれていないだけかもしません。



でも、私はやっぱり嘉音の存在を消すというのは嫌ですね。。









では。
今日はこんなところで。

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