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考察その6 - 縁寿の序列について - [考察]

(2009年11月2日のmixi日記 よりコピー)



【縁寿の序列について】



順番的には金蔵遺言説の矛盾をついていかなきゃなぁと思っていたのですが、
アニメで縁寿が登場したので
前から気になっていた縁寿の序列について書いてみようと思います。





EP1で序列について戦人が説明している記述がありますが、それによると

1金蔵 2蔵臼
3絵羽 4留弗夫
5楼座 6朱志香
7譲治 8戦人
9真里亞 10夏妃
11秀吉 12霧江

との序列のようです。





「あれ?縁寿は9位じゃないの?」





後妻の霧江の娘だから?
いや、でも留弗夫の娘でさえあれば、
序列は真里亞の上になるんじゃないの?

というか、右代宮の血をひいていない夏妃、秀吉、霧江よりは上だよね???





まるで縁寿が忘れられてしまっているかのよう。。












金蔵遺言説にたって考えてみました。






EP1で序列の記述をした際に
金蔵は縁寿を知らなかったのではないだろうか?


EP1の序列記述場面より前の空港の場面で
絵羽・秀吉・霧江が縁寿について話していますが、
それは後で付け加えられたものと考えられないだろうか?










私はEP1からEP5までの物語は
1980/10/6(6年前の親族会議以降)から1986/10/3(惨劇が起こる前)に書かれたものだと考えています。

まぁ、金蔵いつ死んだんだよwというのはここではおいときまして



そして、縁寿が1986年の親族会議時に6歳であることから
縁寿が生まれたのは1980/4/2から1980/10/3と考えられ、
EP4OPに映る写真から1980/6/17が誕生日である可能性が高いのではないかと思います。



ということは、6年前の親族会議時にはすでに縁寿は誕生している。


ですが、EP3での6年前の親族会議での戦人の様子(紗音への発言等)は明るい。。




また、縁寿の出産に間に合うように留弗夫と霧江が入籍したとのことですから、入籍は6/17以前。





さらに、戦人は留弗夫の明日夢に対する裏切りが許せず家を出た。



明日夢に対する裏切りとは
存命中に霧江と浮気をして縁寿を身篭らせたことではないかと推測します。





入籍後、戦人が霧江と暮らしていれば
縁寿を身篭っていること(裏切り)、そしてその誕生は嫌でもわかってしまう。。







以上を総合して、
霧江との再婚と縁寿の誕生は6年前の親族会議時には戦人に伝えられておらず、
それ以降の1980年内に伝えられたと推測します。







そして、そのことは親族にもしばらくの間ふせられていたのではないかと私は考えます。







戦人に対する気遣いもあったでしょう。
留弗夫が体裁を気にしたのもあったでしょう。








金蔵は戦人よりも後に縁寿の存在を知り、
それまでは戦人がなぜ右代宮を捨ててしまったのかわからなかった。






金蔵は戦人に強い思い入れ(についてはまた考察します)を持っていたので、
戦人が去ってしまったという失意から遺言を書き始めた。
右代宮家の栄光と、そこに確かに愛があることを最後に伝えたかった。
しかし、伝わることは期待せずに書き始めた。。。






うーん
ちょっと厳しいかなぁ…





もしかしたらそんなに気にしなくてもいいところなのかもしれないのですが、
EP1で縁寿の序列が書かれていないのが
なんか気になるんですよね…



「孫世代で序列を与えられるのは各家一人ずつ」
みたいな、今まで提示されていない右代宮の決まりがあるのかもしれませんが…





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